【1・4新日ドーム大会メインGHC選手権】


 ノアコラムのコーナーでこの話題にふれるのもどうかと思うが,GHC戦ということでご容赦願いたい。

 まず,興行としての率直な感想から。「この試合がメインでよかったなあ」である。今回の興行,言うまでもなくもうひとつの目玉は健介−小川戦であった。しかし,皆さんご存じのようにあのような結果となってしまった。ここはノアコラムのコーナーであるため,健介−小川戦の批評は控えるが,興行として考えた場合,メインがあれでは観客が暴動を起こしていたかもしれない。もっとも,メインになればもうちょっと試合展開が変わったことも考えられるが。

 次に試合内容であるが,これも新日ファンの人には批判が来そうではあるが「秋山の完勝だった」と言わざるを得ない。誤解しないでいただきたいのは,山杜は盲目的NOAH信者ではない。ひとつ選べといわれればNOAHを選ぶだけであって,プロレス全体を客観的に見るようにしているつもりである。その視点で見て「秋山の完勝」と言っているのである。

 わかりやすい根拠を述べよう。それは「王者危うしと感じたシーンが無かった」である。頭部の手術を受けた後であるから,そこがウィークポイントになっているのは当然であるが,永田の攻撃を受ける秋山に感じた印象は「NOAHのリングではもっと酷いことやられてるもんなあ」である。これが「王者危うし」が無かった一番の要因である。

 NOAHのプロレススタイルは,全日本馬場プロレスが基礎になっている。「やることよりやられることから覚える」「受けるプロレス」である。相手の技を受け止め,相手の良いところを引き出し,その上で勝つ。これができるレスラーが「強い」とされている。一方,新日のスタイルは非常に展開がスピーディーである。技の我慢比べなどはほとんど存在せず,見る者に息つく暇を与えないほどのめまぐるしい展開がある。試合時間も総じて新日の方がNOAHより短い。よく新日だけのファンの人にNOAH(旧全日本)のプロレスを見せると「遅えよ!」「いつまで寝てんだ!」「わざと受けてることねえだろ!」などの罵声が飛ぶ。ここまでの違いがあるのである。

 さて今回のGHC戦。試合展開はどちらのスタイルだったろうか。そう,NOAH型であった。秋山が受けている,という印象が最後まであったのである。永田はNOAHのスタイルに飲み込まれてしまっていた。新日の会場でありながら,リング上はNOAHの雰囲気になってしまっていた。

 しかし,秋山は完全に余裕だったか,と問われればそうでもあるまい。秋山にとってはプレッシャーというもうひとつの敵がいた。他団体のリング上で,NOAHの至宝を万が一でも奪われてはいけないというその意識である。それが見られたのが,エメラルドフロウジョンとエクスプロイダーの角度である。あれだけえぐい角度で出すのはそうそうない。試合展開では秋山が押していたあの場面で,あれだけの角度で放つ必要があったのか。そこにはやはり「負けられない」という意識があったからにほかならない。

 一方,敗れた永田もかわいそうではあった。猪木祭の対クロコップ戦に向け,身体をかなり絞っていた。しかしクロコップ戦では秒殺敗退。減量の成果を見せることなく破れてしまった。ほどなくもうひとつの大舞台GHC戦。モチベーションの低下と小さくなった身体は,かなりのハンディとなってしまった。勝負の世界だからいいわけにはできないが,何とも気の毒だったというほかない。

 とはいえ,試合内容としては悪くはなかった。「死闘=良い試合」は必ずしもそうとは限らない。ドームのメインを華々しく締めてくれた2人の功績は大きいだろう。次は2人ともベストの状態で戦ってほしい。そして永田には,やはりチャンピオンのいる場所まできちんと出向いてきて挑戦してほしい。王者から出向いて来るというのはやはり変だ。それが一般社会の常識だろう。

 チャンピオンのいる場所とは言うまでもない。ノアのリングである。

(文責:山杜一平)


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