【不沈艦が泣いた日】


 秋山が田上をエクスプロイダーの体制にとる。股の下から回した手が田上の手首をつかむ。封印技・エクスプロイダー98。投げられた田上は受け身がとれず,そのままカバーされ3カウントを聞いた。バーニング2年連続優勝の瞬間である。場内は割れんばかりの秋山コール,あるいは小橋コールに包まれ・・・なかった。沸き起こったのは万雷の「ハンセン」コール。コールを受けるハンセンの顔は,泣いているように見えた・・・。

 ハンセンコールが沸き起こる中,田上を抱き起こそうとするハンセン。試合後の光景。この光景はどこかで見たことがある・・・。そうだ,あれは94年の3月5日。所も同じ日本武道館。三沢・小橋組VSハンセン・馬場組。夢のカードと銘打たれたこのメインイベントは,三沢が師匠・馬場をフォールし,歴史に名を残した記念すべき試合となった。

 当時馬場さんは56歳。もはや第一線を退いて久しい馬場さん。当時向かうところ敵なしだったハンセンがパートナーとはいえ,馬場さんの劣勢は火を見るよりも明らかだと思われていた。しかし,いざ試合が始まってみると,その考えは間違いだと分かった。馬場さんはその大きな身体で三沢・小橋の攻めを受け止めた。56歳だということを微塵も感じさせないそのファイト。結果的には破れたものの,馬場さんの堂々たるファイトは見る者に感動を与えた。当時,私こと山杜と大蔵は,その場に居合わせていた。言葉では言いつくせない感動。試合後,ハンセンが馬場さんを抱き起こし,万雷の「馬場」コールの中叫んだテキサスロングホーン。「ウィーッ!!」観客全ての心がひとつになった瞬間だった。

 時は流れ,99世界最強タッグ優勝決定戦。ハンセンのタッグパートナーは田上。全日のレスラーの中で,最も「馬場」を継承しているレスラーである。元子さんから送られたという,この日の入場時のガウンがそれを証明している。コーナーに立つ2人は,かつてのハンセン・馬場組に見えた。外見は確かにそっくりだ。しかし,根本的に違っていたのは,あの日の馬場さんの立場に,今度はハンセンがなっていたことである。

 スタン・ハンセン50歳。94年には「ブレーキの壊れたダンプカー」とも称された男は,いまや限界説も噂されるようになってしまった。しかし,ハンセン自身はそれを良しとせず,来日回数こそ減ったものの,いまだ第1線を退こうとしない。昨年はベイダーという強力なパートナーを得,水を得た魚のように復活したハンセンがいた。そして今年のパートナーは田上。元三冠王者コンビという,考えてみれば凄いタッグだ。しかし,今年の田上は全くと言っていいほど活躍の場がなかった。このコンビが優勝戦に進出してくることを予想できたのは,キャリアの若いファンにはいなかったのではなかろうか。

 迎えた優勝決定戦。入場時からハンセンへの声援は,バーニングを上回っていた。判官贔屓だという者も少なからずいた。しかし,私はそうは思わない。決して判官贔屓なのではない。大多数の観客が田上・ハンセン組,いや,もっと言い切ってしまえばハンセンに優勝してほしかったのではなかろうか。

 昨年は圧倒的な強さで優勝戦に駒を進めながら優勝を逃したハンセン・ベイダー組。逆転優勝を果たしたバーニングには大声援が送られた。あれから1年,またもハンセンとバーニングは優勝戦で相見えた。しかし今年は,優勝大本命はバーニング。「優勝して当たり前」とも言われたこのチーム。こう書いては失礼かもしれないが,バーニングの優勝は当たり前すぎて価値が見いだせなかったのは私だけだろうか。かたやハンセン・馬場組がオーバーラップするハンセン・田上組。昨年馬場さんのラストマッチ会場となった最強タッグ最終戦日本武道館でこのコンビが優勝することは,あまりにも感動的ではないか。

 馬場さんの最後のライバル,そして最後のタッグパートナーと言っても過言ではないハンセン。そのハンセンが天国の馬場さんへ送る勝利のテキサスロングホーン。その「ウィーッ!!」を唱和したかったファンは数多くいたはずである。そして,ハンセン自身,馬場さんとのタッグでは為し得ることのできなかった最強タッグ優勝。1900年代の終わりに,「馬場」を最も継承している田上とのコンビでその夢を実現させてあげたい,そう思ったファンはどれほどいただろうか。さらに,ハンセンはやはり不沈艦ハンセン。いつまでも外国人の横綱として輝いていてもらいたい。そう願ったファンは多かったのではないだろうか。

 とにかく,このリーグ戦におけるハンセンの意気込みは凄かった。それは優勝戦でさらにヒートアップ。ゴング前の奇襲を呼び起こした。そのハンセンに田上も呼応し,年に数回しかない(失礼)スーパー田上に変身。ダイビングボディープレスを初公開するなど,とにかく八面六臂の大活躍を見せた。

 試合は9割方,ハンセン・田上組が押していた。このまま押し切ってしまうのでは・・・そんな考えが頭をよぎったとき,落とし穴が待っていた。若さに勝るバーニング。まるでフィニッシュのウエスタンラリアットを待っていたかのようにカウンターのジャンピングニーを炸裂させ,一気に形勢逆転。ハンセンには小橋の熱血剛腕ラリアットが炸裂し,田上には秋山の秘技エクスプロイダー98が決まる。瞬発力の凄まじさを発揮したバーニングが,一瞬といってもいい猛反撃で試合をひっくり返した。

 試合終了直後,優勝決定の瞬間とは思えない雰囲気だった。若いファンを中心とするバーニングファンからの声援は確かにあったが,それ以上にため息をついたファンは多かった。バーニングの優勝。試合結果は十分納得できるものであるし,やはり最強にふさわしいタッグチームである。異論があろうはずもない。しかし,観客の多くはやはりハンセンの優勝の瞬間を見たかったのだ。ちょっと昔の話になるが,ボクシングのジョージ・フォアマンが40歳を過ぎてチャンピオンに返り咲いたとき,世界中の中年層に感動を与え,希望を生んだという。今回のハンセンに対しても,同様のことが期待されていたのだろうか。そして,ハンセン自身の年齢ももちろんあるだろうが,やはり観客は天国の馬場さんを意識していたからであろう。

 健闘もむなしく,破れてしまったハンセン・田上組。しかし,満員の観客からは,惜しみない「ハンセン」コールが送られた。結果が全てではない。この試合,見る者に感動を与えたのは,紛れもなくハンセン・田上組の方だったのだ。勝者チームの手が上げられるなか,肩を抱き寄せあったハンセンと田上。そして会場が一つになった,天国へ届けとばかりに大合唱されたテキサスロングホーン。

「ウィィィーーーーッ!!!」

くしゃくしゃになった不沈艦の顔は,悔しさとそして観客の温かさで,泣いているように見えた・・・。

 最後のチャンスを失って,燃え尽きようとしているハンセン。ここまでなら,そういう風に映っても仕方がない。しかし,やはりこれで終わるハンセンではなかった。表彰式。ハンセンは受け取った盾で小橋の頭を一撃!!やはり不沈艦は終わってはいなかった。観客の中には,感動的な雰囲気を自ら壊したハンセンを残念がる者もいたはずだ。しかし,私はそう思わない。これでこそ「ブレーキの壊れたダンプカー」不沈艦スタン・ハンセンである。2000年もまだまだ暴れてくれるにちがいない。そう思ったとたん,別の感動がわき上がってきた。

 今年のタッグ戦ベストバウト,私は文句なしにこの試合を上げたい。試合は壮絶で激しいだけが全てではない。そこに感動もあるのだ,ということを再認識させてくれたすばらしい一戦だった。

 1999年12月3日,不沈艦が泣いた日。しかし,不沈艦はやはり沈まぬ・・・。

(文責:山杜一平)


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