【馬場さん逝去に際し】


 馬場さんの逝去、何とも言葉にならないというのが正直な気持ちです。プロレス界だけではなくお茶の間にもその名前が広まっていた馬場さん、プロレスラーでありながらプロレスラーの枠を超えた人物でした。あの屈託のない笑顔、お年寄りが大好きな優しさ、阪神大震災の時には被災地在住のファンを見舞われたという寛大さ、ご承知の通り日本国民皆から愛された人物でありました。


第1章:ジャイアント馬場さんへ

 98年12月の武道館、休養明けで98年年間最終戦のその日、あなたはわたくしの目に幾分頬が痩せたようにみえました。風邪のため調子が悪いのかなと思いましたが、いつもと変わらぬ風景に安心をしたのは、決してわたくしだけではなかったことでしょう。ですがあの時あなたの中には、実はもっと強くて強靭な敵がいたのですね。直接の死因は肝不全ということですが、根源は転移性直腸癌ということで最終戦武道館のあの日、頬が痩せて見えたのはやはり病が進行していたのですね。

 今年手術を受けてその成功を聞いた時、5月2日東京ドームで王者の魂が流れる中、復活のリングへ向かうあなたを夢見たファンがどれだけいたか、あなたの帰りを待つ人がどれだけいたか、ですがいつもの風景にもうあなたの姿を見ることはできなくなりました。冷静に戦況を追う大きな背中・真正面から相手に向かう闘争心・そして何ともいえぬ安堵感、これがわたくしに映るあなたでした。晩年のあなたは闘う姿でもなく、耐える姿でもなくただその存在がすべてでした。

 あなたが旅立った今、その庭には冷たい風が吹きつけています。ですが、その穴を子供達がきっと埋めてくれることでしょう。彼らは大きく成長しました。時間はかかるかもしれませんが、必ずや暖かな風をその庭に運んでくれることと思います。そして全日本を応援してくれる味方はたくさんいます。どうか安心して、熊さんやアンドレと談笑しながら戦いの疲れを癒して子供達を見守ってください。

 あなたの残した足跡は消えることなく永遠に語り継がれることでしょう。本当に「王者の魂」とはあなたのためにある言葉です。数々の夢をありがとう、さようなら馬場さん。


第2章:これからの全日本

 御大不在の全日本がスタートします。馬場さんの死亡は政治的に「ベルリンの壁の崩壊」「ソ連崩壊」ぐらいに大きな事件です。確実に、1つのイデオロギーが崩壊しました。つまり壁が消えたことで全日本自体、風通しの良い団体になったことは事実です。これがどのように左右するのか、それとも従来通り堅実路線を進むのか、その進路が注目されます。ひとまず5月2日に東京ドーム大会が控えていますが、この日は現時点でかなりのXデー的要素を含んでいます。従来であれば馬場・川田、両選手の復帰戦で超満員のはずでしたが、今回の事件でどのような興行になるのか皆目検討もつかなくなりました。

 今回の事件には対岸の新日本も全日本の選手貸出依頼に全面協力の姿勢を決定しました。果たして5月2日東京ドームに他団体の大物選手が出場するのか、それとも故人の意志に基づき全日本の純血主催興行になるのかとても興味深いところです。

 さらに、他団体からのアプローチも以前よりかなり容易な状況となりました。 神聖なイメージの全日本マットがこれから四方八方からの標的になりかねなくなり、各選手のさらなる努力が求められます。御大の亡き後こそ選手一丸となり全日本を支えていって欲しいものです。ひとまず、5月2日東京ドームに注目せよ!


第3章:5月2日一夜限りの夢の追悼興行

 ここからはかなり個人的な見解です。賛否両論は覚悟しています。皆さんの率直な意見に期待します。

 5.2はズバリ全日本を支えた一部の人に門戸を開放して欲しい。例えば天龍・ブッチャー・ファンクス・フレアー・ウォリアーズなど全日本の功労者をリングに上げて欲しい。中でも天龍源一郎。本当の全日本の二男坊でありながら家出息子。でも彼の残した偉大な功績は決して否定することなどできない。今の全日本ファンは90年代三沢時代のファンが殆どです。おそらく80〜85年頃の全日本を知る人はもう少ないでしょう。あの全日本最盛期(このことについてはいずれ話す日が来るかもしれませんが、今は話せません)頃、全日本の二男として支えてきた天龍には是非馬場さんの前で恩返しをさせてやりたい。できれば12年ぶりに長男・二男タッグ、そう鶴龍コンビを一夜限りで復活させて欲しい。相手は誰でもかまわない、あの馬場・鶴田・天龍という80年前半の輝きをまた見てみたい。

 堅実路線を歩む現在の全日本では天龍をリングに上げることなど御法度であることは重々承知の上だが、せめて馬場さんへの最後の興行ならばこの日だけでも彼には参加する義務があるような気がしてならない。

(文責:大蔵栗雄)


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