【追悼・偉大なる世界の巨人】


Giant Baba Forever !  平成11年2月1日午後7時。ひとりの偉大なるレスラーの死を伝えるニュース速報が日本列島を駆けめぐった。

 全日本プロレス御大,世界の巨人ジャイアント馬場。享年61歳。死因は肝不全。その引き金となったのは肝臓まで転移していた結腸癌であった。早すぎるその死。昭和のヒーローがまたひとりこの世を去った。

 その日,私は午後7時ちょっと前に帰宅。部屋の明かりをつけ,暖房に火を入れ,部屋着に着替えながらテレビのスイッチを入れた。7時の時報と共に始まるゴールデンタイムの番組。何気なしに眺めていたその時,ニュース速報のチャイムが鳴った。

「ニュース速報って,結構しょーもない事だったりするんだよな」

などと思いながら,画面の字幕に目をやったその瞬間。私は固まった。目を疑った。鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。

「プロレスラーのジャイアント馬場さんが都内の病院で死去。享年61歳」

うそだろ・・・。そんなばかな・・・。馬場さんが・・・。手術後の経過は良好だと言ってたじゃないか・・・。ニュースを受け止めることのできない私の頬に,涙が流れてきた。

 私はすぐにパソコンの電源を入れ,インターネットに繋いだ。誤報であることを願って。アクセス先はもちろん,全日オフィシャルページだ。しかし繋がらない。ひょっとしたら採鉄場の掲示板に誰かが情報を書いてくれているかもしれないと思った私は,早速確認してみた。何人かの方が,ニュース速報のことを書き込んでくれていた。しかしそれ以上のことは分からず,全日ファンの交流が頻繁なオアシス掲示板へと向かった。そこでどうやら馬場さんの死去は間違いないらしいことは分かった。

 とにかく情報が欲しかった。TVではまだまだ報道されそうもない。ニュースをやっているNHKにチャンネルを合わせたまま,私はネット上を走り回った。そして日刊スポーツの速報ページで,馬場さんが1月31日に亡くなっていたことをついにつきとめた。

 心臓がバクバクいって止まらない。馬場さんはもうこの世には居ないことが信じられない。しかし,事実であるようだ。ふと我に返った私は,馬場さんに哀悼の意を示すため,採鉄場トップページの変更作業に取りかかった。馬場さんの死を認めたくはなかったが・・・。

 プロレスファンはその夜,インターネット上を駆け回り,馬場さんの死を悼み,哀悼の言葉を書き込んだ。採鉄場もその夜だけで,アクセス数が400を越えた。通常は1日で10〜20のアクセスしかないこのページがだ。馬場さんがどれだけの人に愛され,馬場さんの死がどれだけの人にとってショックだったか,改めて思い知らされた。


 私がジャイアント馬場というレスラーを知ったのはいつのことだろう。記憶がない。小学生の頃にはすでに知っていたし,試合を見ていた記憶もある。しかし,初めて馬場さんというレスラーを認識したのはいつか,と問われると全く分からない。裏を返せば,物心ついたときには馬場さんはすでにトップレスラーで,日本人なら知らない人はいない,というほどのビッグネームだったということである。

 馬場さんはレスラーの中で唯一「さん」付けで呼ばれる人だ。勿論,個人個人でその定義は異なるかもしれないが,「さん」付けがしっくりくるのは馬場さんだけである。プロレスラーなのだから,面と向かって話す場合でなければ,ファンは「馬場」あるいは「ジャイアント馬場」と呼び捨てにしてもいいはずである。実際,馬場さん以外のレスラーの名前が会話の中で出てくるとき,私は「三沢」「川田」「猪木」「蝶野」のように呼び捨てにしている。それで当然と思っているし,レスラー側も会話の中で呼び捨てにされるのを別にどうこういうつもりはないはずだ。レスラーだけではなく,スポーツ選手や芸能人などは,呼び捨てにされるのが当たり前の世界のはずである。しかし,何故か馬場さんだけは「馬場さん」と「さん」を付けてしまう。私自身,その理由はいまだ分からない。しかし,馬場さんはそれだけ,他のレスラーと一線を画している存在なのだろう。

 馬場さんご本人には何度かお会いしたことがある。しかしそれは勿論,選手と客という間柄だ。親しくお話をさせていただいたことなど一度もない。売店でサインをする馬場さんを見つめ,リングに立つ馬場さんに声援を贈る。それだけのことだ。だから,厳密には「お会いしたことがある」とは言えないのかもしれない。しかし私は,馬場さんと同じ場所,同じ時間を共有しているだけで満足だった。撮影会で馬場さんとハンセンの2人に囲まれて写真を撮っていただいたときなどは非常に嬉しかった。馬場さんとハンセンに深々とお礼をした。

 プロレス会場以外の場所で,馬場さんにお会いできたのは一度だけあった。一昨年(1997年)の秋,札幌パルコで行われたジャイアント馬場トークショーだった。私は開場のかなり前から並び,開場するや否や,一番前の席を陣取った。そして開演。目の前1mの所に憧れの馬場さんがいた。馬場さんが入場の際,目があってしまった私は,思わす会釈をしたのだが,馬場さんは会釈を返してくれた。非常に感激した。本当に大きい,ジャイアントな方だった。トークショーは,司会の方があまりプロレスを知らない人だったのだろう。カンペを見ながら,非常に当たり前の質問しかしなかった。その内容は,データ的には全て私が知っていることだった。それでも,馬場さんが目の前でお話されているだけで,私は嬉しかった。


 馬場さんは自分を応援してくれるファンが1人でもいる限り,リングに上がり続けた。アントニオ猪木,長州力,前田日明・・・。昭和のプロレスを担ったレスラー達が次々と引退,あるいは引退を表明していく。だが,現役最古参レスラーの馬場さんは,決して「引退」の2文字は口にせず,「生涯現役」を貫き通した。ある者はそれを「引き際が悪い」と罵り,ある者は「見苦しいからやめろ」とさげずんだ。馬場さんにはいつも,非難の声があった。しかしそれ以上に,馬場さんをを支持する声は多かった。 昨年,還暦記念試合のリング上,「まだまだやれんじゃないか」と語っていた馬場さん。その声に満員の観客は大歓声をあげ,惜しみない,心からの拍手を贈ったことからも,馬場さんがいかにファンから慕われていたが推し量られる。

 長年賭けて培ってきた馬場のさんのプロレス・・・。それは,うわべだけの愉しさではなく,馬場さんがそれを通して伝えたいことが観客に伝わるプロレスであった。プロスポーツとしてのプロレス,勝負としてのプロレス,そして心が通うプロレス・・・。 馬場さんは,プロレスをやめてしまった人間がプロレスを語る資格はないと考え,そして,老若男女ひとりでも多くの人にプロレスを楽しんで貰うべく,現役にこだわったのではあるまいか。

 昨年,馬場さんの還暦に際し,私はこのコーナーで以下のように書いた。

 先日,プロレスにはさほど詳しくない友人に,馬場さんが還暦を迎えた話をしました。すると友人は,「なんかこの間,猪木が引退試合をやるって話聞いたけど,馬場はまだ引退しないの?」と聞いてきました。そこで私は,「馬場さんは絶対に引退しないから,引退試合は無いよ」と答えました。その友人がどういう意味に捉えたかは分かりません。私のこの言葉の真意は,皆さんのご想像にお任せします。しかし皆さん,考えてみて下さい。猪木の引退試合は想像できても,馬場さんの引退試合って想像できないと思いません?

 私の「馬場さんが引退しない」という言葉の真意は,こういうものだった。「いかに馬場さんとはいえど,年齢に勝つことはできない。いずれは毎試合出場は難しくなるだろう。馬場さんの1シリーズの出場回数は徐々に減ってくる。いつかは1シリーズ1回ぐらいしか出場できなくなるかもしれない。それでも馬場さんは,力の限りリングに立ち続けようとするだろう。たとえ年1回しか出場できなくなってしまったとしても,馬場さんがリングに立とうという闘志を失わない限り,馬場さんはプロレスラーなんだ。」

 遠い遠い将来,病に伏され,長い闘病生活の末お亡くなりになることはあるかもしれないとは思った。しかし,つい2ヶ月前,元気に武道館のリングで闘っていた馬場さんがこんなに早く旅立ってしまうなど,誰が予測できただろう。

 三沢選手がこう語った。

「社長の死に顔は,笑顔でした」

どんなに非難を浴びようと,自分のやってきたことに誇りを持ち,信じていた馬場さん。確かに馬場さんがやりたかったことはまだまだたくさんあったかもしれない。しかし,「生涯現役」の信念を守りぬいて逝った馬場さんは,満足だったはずだ。だから私は言いたい。馬場さんの追悼セレモニーに,テンカウントゴングはやらないで欲しい。レスラー・ジャイアント馬場は引退したわけではないのだ。天国でも現役を貫き,すでに向こうで待っている数々のライバル達と名勝負を繰り広げているはずなのだから・・・。


 ジャイアント馬場,プロレスファン以外の人々にも愛され,平成11年1月31日,天国へと旅立つ・・・。戒名は「顕峰院法正日剛大居士」。この世で頂点に立った,強くて偉大な人,という意味だそうだ。まさに,馬場さんそのもの。馬場さんは,最後まで偉大だった。

 馬場さんからは,数多くのことを学んだ。その中でも「一生懸命」と「信頼」が心に残っている。この2つは,正直者が馬鹿を見る現代では,役に立たないものなのかもしれない。しかし,馬鹿を見たっていいではないか。ずるをして生きても後味が悪い。晴れやかに,堂々と生きていきたい。そう,馬場さんのように・・・

 目を閉じれば,馬場さんのあの笑顔が浮かんでくる。馬場さんが笑うと,私も幸せな気持ちになった。ご逝去から数日経ち,かなり落ち着いてきた今でも,次のシリーズ,そしてドーム大会も含めた今年の興行ずっと,当たり前のように馬場さんが元気な姿を見せてくれるような,そんな気がしてならない。

 改めまして,ジャイアント馬場さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。本当にありがとう,そしてお疲れさまでした。

(文責:山杜一平)


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