【メインにジュニア選手権を】


 大蔵専務初仕事は 「全日本ジュニア論 ・メインにジュニア選手権を」 です。

 小川のブレイクにより全日本のジュニアに変化があるかもしれない。 全日ジュニアの歴史は戦いの図式こそ華麗ではあるものの、 事実現在も含め「寒い」扱いであることは否めない。 その華麗な遍歴を紐解けば、 タイガーマスク、全日本・ジャパン・カルガリー・外国陣営による抗争の80年代、 渕黄金期・戦国時代・小川安定期の90年代とそれぞれに見所はあった。 外見的には体制が非常にわかりやすく、入り込みやすい戦いの図式が存在していたわけだ。 また、その時々に活躍していたレスラーの実力・知名度はレベルが低いものではなく、 平均以上のそれを有していたことに違いない。

 だが、残念なことに決してジュニアは全日本の中で日の当たる舞台ではなかった。 ヘビー級の引き立て役に回り、扱い自体も極めて低いところでのまわされ役に過ぎなかった。 その代表的レスラーが菊地 毅・ダイナマイトキッドだろう。 菊地は90年代新生全日本後ジャンボ鶴田の引き立て役的存在であり、 キッドは80年代スタンハンセンの引き立て役であった。 またジュニアの裏側ではプロレス界全体を引っ掻き回す戦いが同時に繰り広られた。 例えば、ジャパン軍であり天龍同盟であり、超世代軍である。 80年代前半は新日本によるヘビー級の戦いがプロレス界のムーブメントを起こしたが、 80年代中盤以降は全日本のヘビーによる戦いがプロレス界の流れを作り、 またプロレス界という範疇を超えて社会現象的なところまで勢いを広げたぐらいである。 してみれば、ここにジュニアの進出する余地は皆無に等しくなる、 これが地味で暗いという全日本ジュニアのイメージを形成する要因につながるものと考えられるわけだ。

 そのハイライトというべきか屈辱的ともいえることが、4年前にあった。 時は1994年4月16日。 この日は全日本の日本武道館大会、新日本の両国国技館大会と、 メジャーのホームグラウンドで興行戦争が勃発した。 (ちなみに後楽園ホールではLLPWが密かに?試合が組まれていた。) 日本武道館では全日本がチャンピオンカーニバル優勝決定戦川田利明対スティーブウイリアムス、 両国では新日本が第1回スーパーJカップと目玉興行が重なった。 Jカップの主催者であるライガーは全日本の参加を最後まで唱えたが、結局全日本は不参加。 大蔵は友人からの誘いを断り全日本をその日は選択したが、 第2試合で組まれた小川対菊池のシングルはお隣り両国を意識せずにいられなかった。 なんの意味もないシングルと第2試合の順番が、 全日本のジュニアの扱いをしみじみと感じ取ることができたわけだ。

 だが、ここにきて小川が三沢のパートナーに抜擢され事態は急変である。 仮に、小川が今後もこのままジュニアで続ける意志があるなら、 是非ジュニアの扱いを見直してもらいたいものだ。 三沢が指摘するジュニアの扱いについて見直す絶好のチャンスである。 そこで大蔵からの提案。 全日本ジュニア改革の1案としてメインで世界ジュニアヘビー級の開催を提案したい。 場所はズバリ「後楽園ホール」。 全日本名物の6人タッグをセミに置き、メインにジュニアの選手権をぶつける。 願うカードは小川対デルフィン。 どのようなものか。文面に目を通されし皆様の意見を頂戴したい。 掲示板等に意見願えれば幸いだ。

(文責:大蔵栗雄)


    戻る