【明るく,楽しく,「危ない」プロレス】


 最近,三冠戦をはじめ,全日本の試合の中継を見ていて,1つ思うことがあります。 それは「怖い」ということです。

 全日本プロレスの方針は,皆さんご存知の通り「明るく,楽しく,激しく」です。 しかし最近は「激しく」が「危なく」になっているような気がしてなりません。 この傾向が始まったのは,J・鶴田が第一線を退き, いわゆる「四天王時代」が始まってからのように思います。

 首の骨を折らんばかりの垂直落下技,投げっぱなし技の応酬, 怪我をしている箇所へのやりすぎとも思える攻撃。 はじめのうちは,「凄い」「よく無事でいられるな」「さすがレスラーだ!」とも思っていました。 しかし,そういった闘いの数々が,徐々に選手たちの身体を蝕んできたように感じます。 三沢が欠場し,小橋も満身創痍の状態で闘っている現在の全日本を見るにつけ, つくづくそう思います。

 話はそれますが,プロレスに詳しくない人間には,他の格闘技と比較して, どうしてもプロレスには理解できない部分があるようです。 それは, 「なぜ相手の技をわざと受けるのか,どう考えてもよけることが可能な場合が多い」 ということです。 この点で,昔からプロレスは「八百長」扱いされることが多いようです。 確かに,今大人気のK-1やボクシングなどは,いかに相手の攻撃を避け, 自分の攻撃をたたき込むかが勝負の鍵を握っています。 しかしこれだと,もし試合がKO決着にならなかった場合, 見る側としてはかなりの不満が残ります。 負けた選手側としても,「あそこであの技が決まって入れた勝てたはず」 という消化不良的な悔いが残ります。 一方プロレスは,相手の技を受けきって,その上で勝つという格闘技です。 そのため,たえず技の攻防が繰り広げられ,観客を熱狂させます。 また,自分の技をすべて受けきられて負けた選手は, 「すべてを出して勝てなかったのだから,相手の方が強かったということだ」 という具合に,悔いも比較的残らないはずです。 ともかく,他の格闘技と異なり,「相手の技を受ける」という要素があるプロレス。 全日本プロレスは,特にこの「受ける」という要素が強いように思えます。 だからこそ,危険な技の応酬も多くなってきたのではないでしょうか。

 よくG・馬場さんが解説で「怪我のことをどうこういうな」という発言をします。 確かにリングにあがった以上, 怪我をしているから手加減してくれなどという言い分は通用しません。 それは重々承知しています。 垂直落下の技にしても,反則ではありませんし, それに耐えられる身体や受け身を作り上げるのが, レスラーの仕事のひとつだということも理解しているつもりです。 しかし,プロレスの試合の最終目的は,相手の身体を破壊することではないはずです。 プロレスで勝利を収める条件, それは,相手の肩をマットに3秒間つけるか,ギブアップをとることです。 そのための布石として技を繰り出していくわけですが, 最近の全日本の試合,特に三冠戦は,相手を壊そうとしているように思えてならないのです。 安心して試合展開を追っていられない,そんな気分なのです。 試合展開を見てハラハラドキドキする,それとは全く異質のハラハラ感が心を支配しています。 果たしてこれは,プロレスの神髄に沿ったものなのでしょうか。

 昔,J・鶴田が「怪物」と言われていた頃, そのころの全日本の試合は,今よりも危険なシーンは少なかったように思います。 無かったとは言いませんが,大きな試合でのフィニッシュなど,ごく数えるほどしかありませんでした。 しかし,だからといって,プロレスの凄みが伝わらなかったわけではありません。 危険な技は少なくとも,技の破壊力はひしひしと伝わってきました。 では,危険な技の応酬が目立つ現在の全日本との決定的な違いはどこにあるのでしょう。

 それはやはり危険な技を繰り出して当たり前という「定着」でしょう。 観客の意識はもちろんのこと,選手たちの意識にも根付いてしまっているのではないでしょうか。 観客の目が肥えてしまっている,その肥えた目に選手たちも応えようとする, こういった悪循環により,「明るく,楽しく,危ない」 全日本プロレスが形成されてきてしまったように思えてなりません。 最近私は,のらりくらりながらも大きな身体にものを言わせて, 特に危ない技なしで闘う田上の試合が好きです(最近は断崖奈落ノド輪落としもあまり出しませんし)。 プロレスを楽しんで見ていられる,そんな気がするのです。

 四天王時代以降のファンの方には信じられないことかも知れませんが, 三沢が鶴田から初勝利をあげた試合, そのフィニッシュホールドは鶴田を丸め返す返し技でした。 世界タッグでは,三沢はゴディをウラカン・ラナで下したこともあります。 プロレスは相手を危険な技で失神寸前まで追い込まなくとも,勝利できる格闘技なのです。 この事実を,選手はもとより,我々観客も再認識する必要があると思います。

 昨年の三冠戦,三沢は川田,そして田上を, ノーマルのジャーマンスープレックス・ホールドで下しました。 このフィニッシュホールドを物足りないと思われた方も多いことでしょう。 しかし私には,試合が危険化する全日本に対し, 三沢が発した警告のメッセージのように思えてならないのです。

(文責:山杜一平)


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